ひろば発刊20年になりました


 今年8月をもちまして、「ひろば」発刊20年となります。これを記念して、患者さんであり、読者でもある久慈さんにお言葉を頂きましたので、紹介させていただきます。また、「ひろば」編集の苦労や喜びなどを元編集長に語って頂きました。


 この度「ひろば」発行20年を迎えますこと大変喜ばしく御祝辞申し上げます。
 私も会社において、15周年記念年紙、昨年は私たち会の20年の記念紙の作成編集を担当しましたが、発会当時の記録が無く先輩の意見などを聞きやっとの想いで記念紙を発行しましたが、中々大変なことでした。
 私たちは「ひろば」により、多くの医学の事、医療制度の問題、社会の動向、院内の活動を学ばせていただきました。また、介護の問題に関しては政府の発案よりも早く、介護老人保健施設つねずみの設立、訪問看護、と理事長さんの先手の行動には尊敬致します。また院内における各種の病気に関する講習会等に参加させて頂き、私には大変勉強になっております。
 私も病気で数多くの病院にかかって居りますが、このように機関紙等の発行をしているところはありません。また患者の身になって詳しく説明をしてくれるところも数少ないです。
 是からも「ひろば」によりいろいろ勉強させて頂きます。誠に勝手な事を申しあげますが大変なこととは存じますが更に良き内容で発行されますことをお願い申し上げます。

久慈 忠一


ひろば創刊

1983年(昭和
58年)8月1日(病院開設5年目)タブロイド版 2ページ 隔月発行からスタート

創刊の目的

・時間の制約で診察室では説明しきれなかった事柄を補うこと。
・少し背伸びをして医療に携わるものの立場から、現在の医療の実情を患者さんと一緒に考えていくこと。
・細切れの医学的知識を患者さんに提供するのではなく、広く今日の文化の反映としての医学のあり方を問題にして、様々な意見が登場すること。


「ひろば」編集体験記

忙しいのは百も承知、気の毒だが情けは無用と、原稿の取り立て屋という悪代官を長年務めてきたが、今度は自分が書くことになり大分苦しんだ。編集の苦労話をとのことで思い出してはみたものの、どうも私は期限を迫られると落ち着きがなくなる質で、当時の自分にすっかり戻ってしまい慌てている。

 久しぶりの緊張感―そう、「ひろば」の編集はとにかく緊張した。編集の手ほどきを受けたわけでもない、何もわからない超初心者が、編集作業は字数、行数、段数と、数字との格闘だと直ぐに気がつきあせり始める。当然緊張がつきまとう。慌て者の私は余計慌てて落ち着きがなくなるという悪循環。大小数えきれない失敗と格闘を重ね、出来上がった新聞を広げてみるのを私は百回以上繰り返したことになる。

 何とか継続的に携わってこられたのは、患者さんも職員も声が行き交う大らかで自由な空間があったからだろう。刻々と進歩する医療に関してはもちろんだが、投書、投稿、インタビュー、或いは写真でと、多彩な形で病院に関わる色々な人が登場して紙面は息づくのだから。

 未だにパソコンの画面を見つめるのは苦痛だが、キーボードをたたくだけで編集は成り立たない。言い訳をしながら、じっとしていられず静かな事務室にあって周囲は随分迷惑だったことだろう。いや、大迷惑な話だ。目をつぶりたくなるような大失敗も相川先生は水に流して下さった。考えてみると、苦しんでいたのは周囲の人たちで、私は編集が始まると一方的に暴れまくる台風だったのだ。

 タブロイド版二ページで始まった「ひろば」が創刊20周年。手書き、手書きの編集作業もパソコン化で随分スマートになり、無器用な自分の頃とは違って体裁もよくなった。きっと新しい台風がくるくると動き始めたに違いない。

(た)