今年8月をもちまして、「ひろば」発刊20年となります。これを記念して、患者さんであり、読者でもある久慈さんにお言葉を頂きましたので、紹介させていただきます。また、「ひろば」編集の苦労や喜びなどを元編集長に語って頂きました。 |
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この度「ひろば」発行20年を迎えますこと大変喜ばしく御祝辞申し上げます。 久慈 忠一 |
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ひろば創刊 1983年(昭和58年)8月1日(病院開設5年目)タブロイド版 2ページ 隔月発行からスタート 創刊の目的 ・時間の制約で診察室では説明しきれなかった事柄を補うこと。 |
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「ひろば」編集体験記 | ||
忙しいのは百も承知、気の毒だが情けは無用と、原稿の取り立て屋という悪代官を長年務めてきたが、今度は自分が書くことになり大分苦しんだ。編集の苦労話をとのことで思い出してはみたものの、どうも私は期限を迫られると落ち着きがなくなる質で、当時の自分にすっかり戻ってしまい慌てている。 久しぶりの緊張感―そう、「ひろば」の編集はとにかく緊張した。編集の手ほどきを受けたわけでもない、何もわからない超初心者が、編集作業は字数、行数、段数と、数字との格闘だと直ぐに気がつきあせり始める。当然緊張がつきまとう。慌て者の私は余計慌てて落ち着きがなくなるという悪循環。大小数えきれない失敗と格闘を重ね、出来上がった新聞を広げてみるのを私は百回以上繰り返したことになる。 何とか継続的に携わってこられたのは、患者さんも職員も声が行き交う大らかで自由な空間があったからだろう。刻々と進歩する医療に関してはもちろんだが、投書、投稿、インタビュー、或いは写真でと、多彩な形で病院に関わる色々な人が登場して紙面は息づくのだから。 未だにパソコンの画面を見つめるのは苦痛だが、キーボードをたたくだけで編集は成り立たない。言い訳をしながら、じっとしていられず静かな事務室にあって周囲は随分迷惑だったことだろう。いや、大迷惑な話だ。目をつぶりたくなるような大失敗も相川先生は水に流して下さった。考えてみると、苦しんでいたのは周囲の人たちで、私は編集が始まると一方的に暴れまくる台風だったのだ。 タブロイド版二ページで始まった「ひろば」が創刊20周年。手書き、手書きの編集作業もパソコン化で随分スマートになり、無器用な自分の頃とは違って体裁もよくなった。きっと新しい台風がくるくると動き始めたに違いない。 (た) |