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肝炎ウイルスマーカーの歴史 〜第3回〜 |
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今回はA型肝炎ウイルスとC型肝炎ウイルスの発見までの状況を解説します。 |
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第3章 A型肝炎ウイルスの発見 | ||
何か一つ物事が進むと周りの人間まで自信をつけて勢いを増し、一層物事が進行することはよく経験することです。B型肝炎ウイルスの発見後、古代から流行性黄疸を引き起こし、一九四七年以降は、糞便に汚染された水や食物でうつるタイプの肝炎とされていたA型肝炎ウイルスが発見されました。一九七三年、米国フェインストンによる快挙でした。フェインストンの研究経過はまさにA型肝炎患者の糞便との格闘であったと言い伝えられています。ウイルス粒子は患者の糞便中に電子顕微鏡像としてきれいに捕らえられました。現在でもA型肝炎は国内で散発していますし、流行地からの帰国後に発症する人も時々見られています。一九九六年以降はワクチンも実用化され、現在では流行地への旅行前に任意で接種を受けることが出来るようになり、実際は予防できる肝炎となりました。 |
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第4章 C型肝炎ウイルスの発見 | ||
困難な道 | ||
B型肝炎、A型肝炎が発見され、輸血血液中からB型肝炎が除去されるようになっても輸血後肝炎が約一〇%も発症していました。一九七四年以降は非A非B型肝炎と称されるようになっていました。それ以降世界の名だたる研究グループから発見した!いや誤りだった。あるいは、発見した!他のグループによる追試で否定された、など、発見への道筋は困難を極め、発見したと誤った発表をしたばかりに他の研究グループからの信用を失う結果となった研究者も少なくありませんでした。 |
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発想転換と新技術 | ||
従来の方法と全く違う遺伝子工学的手法を用いて一九八九年米国カイロン社のグループがとうとう非A非B型肝炎ウイルスを発見し、C型肝炎ウイルスと名付けました。しかし、従来のウイルスの発見と異なっていたのは発見のための手法だけではありませんでした。まず、発見したのが当時まだベンチャー企業であった小さな米国の私企業であったことから、ウイルスの発見を単に科学の進歩のためではなく、商行為のために行っていたのです。従って、ウイルスの遺伝子配列を全て解析しておきながら、世界への発表前にヨーロッパでの特許申請を済まし、その特許の一部の公開という手法でウイルスの遺伝子配列の一部分を公表したのでした。当時の雰囲気を知る者としては、こんな行為を看過していたら科学の進歩よりも商売の方が優先されてしまうといった危惧感が日本の研究者の間には存在しました。しかしながら、C型肝炎ウイルスの実像に迫れるほどの研究者は日本には存在しないかに見えました。そんなときに、自治医科大学の真弓先生、岡本先生のグループがカイロン社からは発表されていなかった部分の遺伝子配列を公表し、希望者には配布すると学会で発表したのでした。これにより、日本の様々な研究グループがC型肝炎の遺伝子の情報を平等に手にすることが出来るようになり、実際の診断や更に詳細な研究の端緒が全ての研究者に公平に開かれたのでした。科学者はあくまで真理の探究者であってほしいものですが、まさに同グループの研究者としての姿勢には頭を垂れるしかありません。 |
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様変わりした治療風景 | ||
現在、ごく普通の外来診察中の会話として、C型肝炎の患者さんとは、ウイルスのグループ、ウイルス量、インターフェロンの著効率などといったかつての専門用語が交わされるようになっています。極論かも知れませんが、これらも研究成果は公表し、社会へ還元していくべきとの熱い思いをもった日本の研究者、研究グループの努力の賜であるのです。日本の技術を信じるものとしては、C型肝炎の治療薬に国産品が少ないことが気掛かりですが、C型肝炎の治療薬は今後も新しいものが市場に出てくる予定です。希望を持って療養して下さい。 |
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次回は最終回です。代表的な各肝炎ウイルスマーカーについて解説する予定です。 (小島 眞樹) |