調査は2009年8月4日〜20日の期間で当院の患者さんと職員を対象に行いました。1988年・1991年に行ったアンケートと同じ質問文で行い、21年前の結果との比較をしました。
【調査結果】
回答者‥患者482名(男215、女231、無回答36)、職員103名(男25、女71、無回答7)で性別、年齢構成に違いがありました。しかし、質問1,2,3のいずれに於いても患者と職員の回答に有意差はありませんでした。全体として前回は50代未満の方が約70%でしたが、今回は50代以上の方が約70%(図1)と年齢構成が変わっています。

質問1‥「はい」と答えた方は前回よりやや少なく、「いいえ」と答えた方は有意に少なくなっています。一方、「わからない・無回答」が有意に増えています(図2)。脳死という死の判定が現実化してきて「いいえ」と言い切れない方が増えたのでしょうか。
質問1で「はい」と答えた方の理由‥においてア.を選んだ方は22.4%ですが、医療職の職員が12.5%と患者24.4%の2分の1であるのが興味深いです。医学は万能ではないと現場の人間は特に思っているということでしょうか。イ.臓器移植のために脳死の判定が必要とする方は3分の1です。ウ.は大変少なく7.5%です(表1)。比率は前回と変わりません。
質問1で「いいえ」と答えた方の理由‥においてア.今の制度や医師の倫理を全面的に信用出来ない方は職員より患者の方が多く、イ.感情的に受け入れられないとする方も患者の方が多くなっています(表2)。比率は前回と変わりません。
質問2‥前回に比べて「はい」と答えた方が有意に減っています。「いいえ」はほとんど変わらず、「わからない・無回答」は有意に増え4割以上を占めています(図3)。
質問3‥患者では「わからない・無回答」が45.1%を占めています。職員では「いいえ」と答えた方が23.3%で約4人に1人が登録に否定的です。全体としては「はい」、「いいえ」と答えた方がわずかに減って、「わからない・無回答」がやや増えています(図4)。




社会は脳死を受け入れたか
 死は一瞬の出来事のように思われていますが、細胞の死、臓器・組織の死、そして個体の死までは、ある時間がかかります。死が訪れ始めたときに、医師は臨終を告げます。そして、心臓の鼓動が止まり、呼吸が停止し、瞳孔反射がなくなったときに、死の判定をしていました。法律の規定でなく、これは社会通念として受け入れられていました。
 一方、移植医療では心臓や肝臓を社会通念としての死の状況になってから移植しても、提供された患者の命は救えません。すでに後戻りのできない死の歩みを始めた脳死の人から動いている心臓をもらって、移植することで、やがて死が確実な患者さんを助けることができるようになりました。
 しかし、心臓が鼓動しているのに死であると認定することに多くの人はこだわります。そのため、1997年に「臓器移植法」が制定され、移植を前提とした脳死の判定には厳格な基準が設けられています。脳死から、移植までの手続きも、多数の専門家が関わり、誤りのないことを期しています。ところが、法律ができてから今日まで脳死の判定を受けた人からの心臓移植は今年の2月までに81例が行われましたが、諸外国に比べ極めて少ない数です。関係者は臓器提供に当たっての条件が厳し過ぎると考えたのもひとつの理由で、今年の7月には駆け込み的に「改正臓器移植法」が議員立法で成立しました。これで、大きく変わったのは次の三点です。1.臓器移植を前提にしなくとも脳死を人の死とする。2.15才未満でも家族の同意があれば移植ができる。3.臓器提供について本人が意思表示をしていなくとも、家族の承諾があれば移植は可能。臓器の提供に関する意志表示は健康保険証の裏面に記入欄があります。しかし、人の意志は変わるのが常であり、本人の意志の確認はたやすい事ではありません。この改正法を提案した理由として、すでに脳死を死とみなす考えは社会に定着しているとしています。しかし、当院の患者さん、職員のアンケートからは、脳死が広く受け入れられたとはいえない結果でした。脳死が人の死と一般化されたため、移植でない“臨床的脳死”としても、家族は慣習的な死の判定を望むでしょうから、死のあとに医療をするのか、医療現場は混乱するでしょう。

※アンケートにお答え下さった方のうち121名の方からご意見をいただきました。その一部を下に掲載いたしました。ご協力ありがとうございました。

「脳死と臓器移植」に対するご意見
◆一人の尊い命が脳死提供者によって救われたとしたら、脳死で提供された臓器も移植者と共に生きていけるのはすばらしいことだと思う。
◆移植する(提供する)にしても、家族が納得できる時間・余裕が十分に与えられることが必須条件。今はそれが保証されていない。
◆先に国会で議決された15歳未満の子供も提供できるとされた事には反対。子供の生命力は大変強く、体内でどのように変化するのか判らない。生きる可能性を断つことは難しい。
◆外国で移植するには多くの困難があり、患者さんが移植を待っている事も考えられますので、今国会の議決は大変良いことだと思っています。
◆人は生まれながらにして寿命をもってきているので、他人の臓器をもらって生きることはないと思う。自然でないと思う。
◆本人が正常な精神状態の時、よく考えて判断し、毎年考えが変わった時点で変更できるようにすると良いと思います。
◆年齢差がどうなのか不安。
◆移植を望む側に自分がいれば、脳死を認めて欲しいと思います。脳死状態の人の側にいれば認めて欲しくない。その時にならないとよくわかりません。
◆臓器移植についてはドナーの疾患保有も引き継ぐため、あまり賛成できない。
◆脳死を人の死と認めるなら、脳死体は「死体」であると考える。家族が脳死を認めず治療行為を続けるという時、私達看護師が「私は死体の看護はしません」といったら、法的に業務放棄したことになるのでしょうか?疑問である。
◆臓器移植は一方の死を前提とした医療行為、いわば敗北の医学。積極的に推進することには賛成できない。