私たちはややもすると、医学が進歩し、従来あったマラリア、結核、梅毒、赤痢、腸チフスなどの感染症が克服され、現代は、より安全な社会になったと考えがちです。しかし、最近でも、エイズの世界的流行、エボラ出血熱、重症急性呼吸器症候群(SARS)、高い死亡率の高病原性インフルエンザ(鳥インフルエンザ)などがつぎつぎとヒトへ感染するのを経験しています。これらの感染症は多く、ヒト以外の動物が感染源となっていて、動物が生息する地域に入って感染したり、感染動物が、ヒトの世界に持ち込まれて、ヒトに身近な動物やヒトに感染を起こしたりします。抵抗性のないヒトでは激しい症状を呈し、重症化します。動物からヒト、そしてヒトからヒトに感染が広がりますと、感染が沈静化するまでに、多くの犠牲者を出しています。このような人獣感染症は古代から繰り返されてきましたが、かつては、一地方病とされていました。しかし、交通が発達し医療行為が多様化した現代では、一旦、ヒトの世界に感染が始まると、過去のどの時代よりも、病気の伝搬速度は早くなって、地方のわくをこえた数カ国に感染が拡がって、パンデミックと言う状態になります。新型インフルエンザも昨年夏に感染が始まり、世界各地に一気に拡大し、WHOがパンデミックの警報を出したわけです。これまで経験していない新たな病原微生物が侵入してきた時に、免疫がないために、多くのヒトが集まる機会の多いところで、爆発的に感染が起こって、病態も重症化します。
 医学史が教えるように、人類が一定の地域に集団をつくり、別々に離れて暮らしていた時代には、それぞれの集団では、それぞれの感染症を持っていましたが、何世代も経る中で、病気に対する抵抗力=免疫がついて、集団内は一定の安定状態になっていました。しかし、集団を支える生産技術が進歩し、経済活動が活発になるにつれ、周辺の集団との交流が盛んに行われ、それぞれの集団で安定していた感染症の病原微生物の交流も始まり、様々の病気が新たにヒトの集団内で起こるようになりました。常に、人類集団は病原微生物と宿主であるヒトとの間に、不安定な関係が続いているのです。ネズミ、ダニなどによる発疹チフス、ペストも、世界的流行を起こし、人口が減少しました。
 征服者としてはきわめて少数でしかなかったスペイン人が、1530年頃に旧大陸の天然痘を持ち込み、免疫のなかったインディオたちの多数が死亡しました。1558年にはヨーロッパで流行していたインフルエンザが新大陸で猛威をふるうことになったのです。コレラ、はしかなどの疾患とともに、インフルエンザがスペイン人に征服を許し、インディオの文化は消失してしまったのです。
 現代では、開発と称する、熱帯雨林の伐採や、草原の砂漠化で、棲み家を追われた動物が多くは亡び、一部はヒトの世界に新たな病気を持ち込んできます。絶滅危惧種と、保護を訴えるのは、単なる希少種で貴重ということではなく、自然破壊が人間社会にもたらす疾病の問題に関連していることを考えれば、私たちの身近な問題であることが理解されます。エイズの世界的流行はサルとの関連が疑われていますが、それでも、アフリカの小部落内の地方病であったものが、やがて、経済の活発化とともに、感染した人々が、抵抗力のない人々の中に散って、感染を拡大し、文明社会での輸血などの医療行為、薬物濫用、性習慣の乱れが、更に感染を助長したのです。エイズは偏頗な文明社会を象徴する病気であります。
 このように感染症をみてくると、インフルエンザウイルスとヒトの免疫という共通した問題が見えてきます。
■インフルエンザ
 インフルエンザは何世紀にもわたり、世界に蔓延を繰り返してきました。インフルエンザの病原はウイルスです。インフルエンザウイルスに抗原構造からA.B.C.の3種の形があり、A型インフルエンザウイルス粒子の表面にHとNの2種類の特徴ある抗原構造があり、変位を起こしやすく、スペイン風邪はH1N1亜型、香港風邪はH3N2、ソ連型H1N1亜型と言った表示をします。現在、関心を集めている新型インフルエンザはソ連型のH1N1亜型です。そもそも、今回のインフルエンザを新型と呼ぶかについては議論があり、ヒトの季節型インフルエンザにくらべ、豚インフルエンザでは、大多数のヒトが免疫状態でないとすれば、感染の拡大は早く、感染は重症化するであろうと予測されたことで、新型と名付けられました。そのため、高病原性鳥インフルエンザH5N1亜型の重症型感染と同様の対応を必要としたわけです。しかし、最近では感染者が減少し、致命率は0.1%以下で、季節型と差がない程度で合併症も少ないことがわかってきました。
 インフルエンザにかからない大原則は人の集まる場所には近づかないことです。学校閉鎖、学級閉鎖は生徒への蔓延を防ぎ、家族への感染を防ぎ、他の年齢階層への拡がりを阻止できます。夏休みを短く、冬休みを長くすれば、年中行事になっているインフルエンザ騒動も小規模になることでしょう。マスクをすれば感染が防げ、どこにでも行かれると思うのはマスクの予防効果を過信、いや迷信です。勿論インフルエンザの患者さんがマスクをすることは他人にうつさないために大切です。
 新型インフルエンザのワクチンの効果は期待されていますが、一般にインフルエンザのワクチンは他のワクチンに比べ、発病阻止力が低いことは経験するところです。健康な成人にワクチンを接種しても10〜30%の人は発病するとされています。更に、老人、乳幼児では発病率は高くなります。副作用の面からも、新型ワクチンの接種により死亡したという報道があり、厚労省は直接の関係はないとコメントしましたが、最近になって、調査を綿密に行うとしています。わが国におけるワクチンの製造メーカーは外国の会社に比べ弱小で、製造能力があらたな感染の拡がりがある時は追いつけないのが現状です。ワクチンの緊急輸入という手段をとりますが、相手のある話で、安全性の確認も十分できず、いつでも安心とはいえません。

追記
 ここまでをひろばの原稿を終了とした。その直後、昨年月日欧州議会の保健衛生委員会が豚インンフルエンザの流行時に、欧米の製薬会社がワクチンや関連医薬品の売り上げを伸ばすため、WHOや医学界に、インフルエンザの危機感を扇動した疑いがあることを調査することを満場一致で決議したという、「インフルエンザ騒動の誇張疑惑」が報じられるようになった。
Europe to Investigate WHO 'False Pandemic' Scandal.
WRITTEN BY ALEX NEWMAN. TUESDAY, 05 JANUARY 2010 16: The New American
(田中 宙 国際ニュース)田中氏は更に多くのニュースを紹介しているが、われわれも、臨床というボトムからの細い窓から見ていても、現実と、毎日のテレビ、新聞のニュースには乖離があると感じていた。情報をどう受け止めるか、われわれは多くの触覚を持たなければならない。
(医師  相川 達也)