当院でもこの6月から禁煙治療を保険診療として実施できるようになりました。禁煙指導の保険診療自体は2006年から認められていましたが、当時使用できた薬剤による禁煙成功率はたかだか20%程度でした。しかし、画期的な経口禁煙補助薬が2008年に発売されたことから、禁煙成功率は約50%へと飛躍的に改善してきています。当院に通院中の患者さんの中でも高血圧、糖尿病、高脂血症の方々が大変に多いことから、禁煙指導はとても重要です。動脈硬化予防の観点から、今後ますます重要となるこの問題に病院全体で従来以上に取り組むため、施設内に止まらず敷地内の全面的な禁煙を徹底し、併せて保険診療で禁煙治療を行えるように器具(呼気中の一酸化炭素濃度の測定器)も揃えました。今回はひろばの紙面を借りまして当院全体で取り組む禁煙外来の宣伝を大いに致したいと存じます。
 植物としての‘たばこ’はナス科たばこ属の一年草で亜熱帯性植物として分類されています。その起源は南アメリカ大陸のほぼ中央、現在で言うとボリビアからアルゼンチンの境にあるアンデス山中に辿り着くと言われています。そしてアメリカ大陸で都市文明を発達させたマヤ族において、少なくとも7世紀からたばこを使用していたことが知られ、現在のメキシコには「たばこを吸う神」のレリーフが残っています。西暦1492年10月12日にコロンブスが西インド諸島にたどり着いた時に、先住民が差し出した香り高い葉がたばこであり、ヨーロッパ社会への伝播が始まりました。16世紀半ば頃、ポルトガルのリスボンに駐在していたフランス公使のジャン・ニコがたばこの薬効に着目しフランス宮廷に献上しました。このニコに因んでたばこの中のアルカロイド物質を後年「ニコチン」と名付けたとの逸話も生まれています。このようにして急速にたばこはヨーロッパに広がりました。日本へも1543年の種子島に鉄砲と同時に伝来してきたとの説もあるようです。ここで注目すべきは、たばこがヨーロッパ社会に伝わって間もなく日本にまで広がってきたことです。急速に広がったことの証左としてたばこは世界各地でほぼ共通に‘たばこ’と発音されています。
 マヤ文明でたばこは生贄を捧げる儀式や占いや魔除けなどの宗教儀式の際に使用されました。しかし、ヨーロッパ社会が受け入れた主な理由は万能薬としての効用でした。当初は船乗りの間での流行でしたが、先に触れたようにフランス宮廷にも頭痛薬などとして紹介され、急速に広がりました。その後は1828年に紙巻きたばこが登場し爆発的に広がりました。
 江戸時代の日本では主にキセルで吸引する方法で広まりました。火事の対策に困っていた江戸幕府からは度々煙草禁止令が出されたと伝えられています。明治時代になると紙巻きたばこが庶民の間に普及しました。日清戦争で戦費の調達のため財政難になったことからたばこの専売制が開始され、1985年まで継続されて税収を賄いました。
 現代の化学分析からは、たばこの煙の中には実に約4000種類もの化学物質が含まれていることが分かっています。その内、発癌物質約40種、発癌促進物質約200種です。喫煙者もこのような事実を知っていながらなかなか喫煙を止められない大きな理由は、たばこの成分であるニコチンに対する依存状態です。当初万能薬として紹介されたたばこですが、1900年頃から発癌との関連に注目した報告がなされるようになりました。1930年代には肺や循環器系の疾患の発症率、死亡率の上昇との強い関連が報告されるようになりました。1950年代から1960年代にかけて「明らかに喫煙は肺癌、心臓血管疾患との関連がある」との医学界、各国政府の合意が成立していきました。つまり、たばこの被害はニコチン依存症と、発癌の問題、呼吸循環器疾患の危険の上昇と理解しておきましょう。
 健康意識の高まりを背景に、たばこと健康被害との関連が認められるに従って禁煙、嫌煙などの運動が盛んになりました。こうした社会背景のもと2006年からは従来自由診療の範囲だった禁煙指導が健康保険を使って出来るようになりました。
 従来の禁煙治療はニコチンを含んだガムやパッチを用いて体内にニコチンを吸収させて禁煙から生じるニコチンの禁断症状を緩和していました。それに対して2008年からは禁煙補助薬としてニコチンを含まず、ニコチンが脳内で結合して快感につながる部位(ニコチンレセプター)に予め結合してしまい、禁煙から生じるニコチン不足からのイライラ感を軽減する初めての経口薬による治療が始まりました。ニコチンを含まずニコチンレセプターをブロックするので禁断症状を軽減し、万一吸ってしまった場合でも快感につながるニコチンレセプターが予めブロックされているので喫煙の満足感を大きく阻害します。これにより禁煙成功率は従来法が5〜20%程度であったものが約50%と飛躍的に改善しています。 
 結果のみでなくガムを噛むような口を動かしながらでは仕事が出来ない人やパッチではかぶれやすい人などでも非常に使いやすい経口薬です。最初の3日間は1錠ずつ、4日目からは2錠を朝夕で飲むだけです。そして経費の面でもたばこを1日1箱吸う人では月に約9000円程度消費(浪費)するところを、この禁煙補助薬では1ヶ月6000円以下の負担で済むのです。たばこを吸う行為はニコチン依存症という立派な‘病’です。たばこを習慣的に吸っている方は、周囲から説得されていやいや禁煙するのではなく、治療として3ヶ月間で5回の受診を行ってください。我々病院スタッフも禁煙治療の最新の知見習得に一層努め、皆さんの禁煙が成功するように最大限の援助を致します。禁煙治療を希望する方には制度の詳細をご説明致しますので遠慮なくお申し出下さい。
(医師 小島 眞樹)