東日本大震災・福島原発事故から1年以上が過ぎました。復興に向けて日本全体が一丸になり努力し、幾つかは明るいニュースも見受けられます。この5月下旬に、被災地への医療協力で南相馬市に行く機会がありました。その途中に飯舘村を通りました。ここは大震災後の被災地だけでなく、原発事故による直接の影響を受けた地として全国的に有名なところです。その状況についてはたくさんの情報が多くのマスメディアで報道されてきましたが、現実は報道を遙かに超える厳しい状況であると感じました。一個人の雑感ではありますが、見たこと感じたことをほんの一部ですがご紹介します。
 東京駅を午前10時過ぎの東北新幹線で出発、約100分で福島駅に到着しました。ここから1時間半ほどかかり、南相馬市まで車で移動しました(図1)。福島駅から国道114号線を使って川俣町まで移動、富岡街道より県道12号線に入り、ここからほぼ一本道で南相馬市へ入りました。福島駅から南相馬市に達するまでは、福島県内でも有数の山地である阿武隈山地と奥羽山脈の一部が位置していて、全線で舗装はされていますが、ほとんどが山道で、一部は峠道の状態です。福島県内の運転マナーは非常に良くて、曲がりくねった山道にも関わらず、睡魔に襲われることも度々でした(運転は専門の方がされていました)。また、阿武隈山地の景色は絶景で、季節も良く緑も深く、天気も良かったこともあって、大変すばらしいドライブでした。しかし、所々に人気(ひとけ)を感じる村や町が点在はしていましたが、やはり場所柄、過疎化がどんどんと進んでいること、また大震災やその後に発生した原発事故の影響もあって、点在する町の活気は少ないと感じました。


図1

 そうこうしているうちに、福島駅を出て1時間ほどした頃に、ドライバーの方から「ここから報道で有名な飯舘村です」と告げられました。飯舘村は国から「計画的避難区域」と指定され退去を求められている地区です。見ると「飯舘村」と書いた看板と、続いて「飯舘牛」の看板が幾つも立っていました。後で聞くと、飯舘村には特産と言われるものが長いことなくて、村の特産ブランドの一つとして大事に育ててきた一つが畜産業だそうです。近年、ようやく飯舘牛としてのブランドを確立しつつあったところで、今回の事故でその状況は一変しました。福島県の空間放射線量は東京とほぼ同じレベルに落ち着いてきた様ですが、高濃度の放射線の帯は、福島原発よりこの地に向かい、いったん折れ曲がって、福島市に向かって拡がっている状態が知られています。図2は2011年4月の時点と2011年11月の時点での放射線汚染状態です(http://yamayama.jp/index.htm)。浪江町・双葉町を含めて、空間放射線量は次第に下がっているものの、これはあくまでも空間線量であり、地元の方にお伺いするとあちこちに地表ではHot spotsと呼ばれる高濃度汚染地域(年間放射線量が20〜50ミリシーベルトまで達する:国の基準は年間1ミリシーベルト以下)がまだまだ残っているとのこと。現在の公的な放射能測定は次のところで確認できます。http://fukushima-radioactivity.jp/

 飯舘村に入ると今までの景色は一変しました。この地域は奥羽山脈の一部と阿武隈山地からなっていますが、比較的平地(いわゆる盆地)であり、これまでのドライブで見てきた村・町に比較すれば、多くの家屋が建っていました。しかし、ほとんどの家屋の窓・戸が固く閉ざされ、一部には台風シーズンでよく見る「戸板」でしっかりと固定され、その庭は雑草で覆われていました。周りには人は一人も見えず、また、多分水田だったと思われる、道の周囲の水田はうっそうと雑草が生い茂り荒れ放題でした。これが飯舘村を越えるまで延々と続いているわけです。県道を通る車がいる以外は、まさにGhost townの状態で、深い緑の美しい景色とのコントラストが、とても不気味な印象でした。唯一、村役場が警察車両の待機場所となっており、数台の警察車両が並んでいることから何となく人気があることが伺われるのみでした。今回は昼間にこの地区を通りましたが、これは日が暮れると相当に不気味な状態であると思われます。いったん高濃度汚染地域(指定された地区)となったとなった町や村が元の姿に戻って、元の生活リズムを取り戻せることは、素人目にも相当な困難であると再認識しました。
 飯舘村を越えると南相馬市に入りますが、ここで再び景色は一変します。ここの空間線量は東京並みで普段の生活には全く問題ないそうです。人気があるため町には活気があり、市民の皆さんも普通の生活に戻りつつある様です。人口はほぼ80%程度まで戻り、お子さんも2/3程度は戻っています。南相馬市は震災直後の大津波でかなりの方がなくなりましたが、原発事故の影響は比較的少ない様です。大震災の復興は人の努力で何とかなり得る様に思いますが、原発事故による放射能汚染についてはヒトのコントロールを遙かに越えて対応もままならないことをさらに痛感しました。


図2
(医師 加藤智弘)