【原発の安全が保証できない経済構造】
 前回、内部被曝の危険性について説明したが、今回はなぜ地震の多い日本で原発が安全に運営できない構造的な問題について、欧州の事情と関連して考えてみたいと思う。日本の原発の安全性は、基本的に欧米、特に米国と大きく異なるわけではない。しかし、地震の危険性がはるかに大きい日本では、それはおかしな話ではないだろうか。50以上の原発を有する日本について、多くの外国人は「地震が非常に多い日本では、もともと原発を作るのが間違いだ」という。それでも、一応原発を作るということになったら、技術立国日本こそ安全に運営できる様々な工夫を凝らし、しっかりした安全計画と有能な技師や運転員の下で運営するということが当然期待される。しかし、2011年3月11日以降判明したことは、決して現在の日本の原発はそうでなかったことである。

膨大な建設費用
 なぜそうなるのかということを説明するには、まず原発の「経済学」を少し見なければならない。驚くべき事実だと思うが、今まで全世界で作られた商業用原発(約440基)の中で、黒字になったものは1つもないということだ。建設費用が非常に高く、日本の場合は1基約4,500億円だが、高い電気料金を取りながら高い稼働率を長く維持しなければ、最初の建設コストを取り戻すことが困難*(それなら、なぜビジネスとして作るのかという問いが無論出てくるが、最終回である次回にある程度の答えを示したいと思う)。

*解説:日本では、電源開発促進税法があり、その法律によって定められた税率は販売電気1kWhあたり0.375円となっている。この制度は40年近く続いているので、現在の日本の原発が基本的にはこの税金(補助金)によって建設されたという見方もできる。また、電力会社が経営的に優れているとされる理由の一つは、原発以外に火力・水力発電等の事業も行っているからだと言える。

 しかも、建設が始まる前の建設費用見積もりを大幅に上回ることがほとんどだという。最近の欧州のケースとして、フィンランドのオルキルオト(Olkiluoto)原発の第3号炉が頻繁にニュースに出てくる。建設責任者はフランスの大企業アレヴァ(Areva)社だ。計画が浮上した2003年には、建設費用30億ユーロ(約3,300億円)ということになっていたが、2009年3月の段階では、工程が3年間遅れ、費用は47億ユーロとなった。さらに2009年8月では、アレヴァ社は建設費用が53憶ユーロに達したと認めた。建設が続いているようだが、2014年の一応の竣工はもう間に合わないことが判明し、アレヴァ社と発注者のフィンランド電力会社TVO社との間で激しい論争が繰り広げられているという。これでは、いくら頑張っても、建設費用が取り戻せないだろう。しかし、これは例外ではなく、ほとんどの原発建設の状況である。

安全維持管理費を犠牲にしても広報費は削らない
 日本の場合も同じだが、電力会社が定期的に支払わなければならない固定費は建設費用とその利子だけではなく、燃料費、従業員の給料などがある。どこかで節約しなければ、元々の投資額を取り戻す日がどんどん遠ざかっていくだけ。必ず支払わなければならない固定費以外には、変動費、例えば安全管理を含む維持管理費と広報活動費などがある。これらは、会社の裁量である程度大きくなったり小さくなったりできる費用である。原発を有する電力会社の状況では、当然これらの変動費をできる限り抑えることはポイントだが、2010年度の東電の広告費は116億円だったという。振り返ってみれば、福島第一原発災害が起きてから間もない時期に「原発事故は人災だ」という言い方がよく耳に入った記憶がある。つまり、自然災害(地震と津波)のために原発事故が起きたわけではなく、原発をより安全に運営できる仕事がおろそかにされたという意味だと思う。今になって、その広告費の116億円が原発安全管理に使用された方が良かったと、こころある東電の人たちが反省しているのではないだろうか。

 そういうわけで原発の安全性にかかわる費用は、電力会社が構造的にできるだけ出し惜しみする分野の一つである。もちろん、普通固定費と考える人件費も、3月11日以降明らかになった原発のあらゆる仕事の重層的な下請け構造からわかるように、経費を抑える工夫の対象になっている。だから、前記に書いたような「しっかりした安全計画によって有能な技師や運転員の下で運営する」ことが構造的な理由でできないのである。では、電力会社が広報活動費を圧縮すればいいのではないか。いやそれはできない。もし電力を作りだす原発がどんなにいいものかという宣伝をやめたら、つまり、広告費を通して様々なメディアをコントロールするのをやめたら、その逆の「悪い」反原発の人たちが優勢になり、ますます電力会社が窮地に立たされることになるという考え方がある。結局、そうなると、広報活動費は変動費ではなく、支払わざるを得ない固定費のようなものになってくる。安全・維持管理費と人件費がいわゆる貧乏くじ的な存在になる。誰が見ても、それは危険だとすぐにわかる。もしこれは航空会社の実態だったらどうなるのか、ちょっと考えればわかるのではないだろうか。

 反面、電力会社は、電気料金を決める際、必要経費に約3.5%を上乗せ、必ず儲かるように法律で決まっているのではないか。だから、必要な安全対策を講じても、それが必要経費なので、電気料金に上乗せてさらに儲かることができるだろうと考える。しかし、それはしない。なぜか、日本の電気料金はすでに世界的に見ればトップレベルに達している。自由化が進む日本の電気市場の中で、原発を抱える電力会社が競争力を失ってしまうので、電気料金をできるだけ抑えたいというのが本音。上記のように、それは変動費である安全・維持管理費がまず犠牲になる。だから安全に運営できないのである。

使用済み放射性廃棄物の処理と費用
 もう一つ大きな問題がある。それは使用済み燃料の行方。現在、原発のあるすべての国々には、原発で発電をしたあとの使用済み燃料をどうするのか、精々50年先の処置しか用意されていない。実は、放射能の観点からみれば、使用済み燃料が元々の使用前の新燃料よりかなり放射能が強いものである。使用済み燃料が原子炉の中で熱くならないから取り出して新しいものに入れ替えるのではなく、非常に熱くなりすぎてコントロールしにくい「ホット」なものだからである**

**解説:通常の燃料ペレット内の核分裂反応は、キセノン135(ガス)の蓄積で阻止されゆっくり起こらなくなるが、核分裂反応の結果としてできた様々な核種が燃料の中にたまる一方だ。その崩壊熱が問題だ。核分裂反応は制御棒の入れ・出しで制御できるが、崩壊熱はこれで制御できないので、炉内は熱くて不安定になる(だから、福島第一原発の事故で、制御棒が挿入されても核燃料が崩壊熱で溶融したと思われる。燃料はしばらく-少なくとも数カ月間-稼働中の炉内に入っていたからだ)。

 この「高レベル放射性廃棄物」を何年貯蔵しておけば「安全」になるか。問題の放射性同位体の一つは、プルトニウム239だが、その半減期は2万4,100年である。どのような放射性同位体でも「安全」になるまで10半減期かかるとされている。それは、一般的に高レベル放射性廃棄物が安全になるまで24万年以上貯蔵しなければならない根拠となっている。しかし、人間の有史以来約6,000年では、そのようなことが人間にできるのだろうか。

 実は、上記に言及したフィンランドのオルキルオト原発は島にあり、その同じ島には核廃棄物の長期貯蔵施設がいま建設中である。オンカロ(Onkalo)使用済み燃料貯蔵施設というが、2020年前後からフィンランドの原発から出た使用済み核燃料のみがここに貯蔵される計画になっている。核燃料の銅容器封入、建設と維持管理の費用は8.18億ユーロ(約900億円)だという。施設は18億年安定している花崗岩の岩盤の中で、深さは最大520メートルで、満杯になるのは2120年前後だという。その後、施設が完全に封じられたのち10万年貯蔵可能だということになっている。24万年ではない。そのあとはどうするつもりなんだろうねと思う。オンカロ施設はドキュメンタリー映画“Into Eternity”(イントゥ・イーターニティ)の対象となったが、見た感想として施設の関係者でさえ、ほとんど10万年の貯蔵は大丈夫なのかどうかについて頭を傾げていた。それは不思議なことではない。10万年、24万年という長時間は人間の想像を絶する「永久」のようなものだからである。つまり、現在のところ(ほかにも試みはあるが)使用済み核燃料を24万年安全に貯蔵する施設の計画は世界のどこにもない。当然、地震が多い日本に作るということは不可能である(日本は、以前にその原発使用済み核燃料の永久貯蔵をモンゴルに委託する打診をしたのはこのためである)。では、現在の日本の原発の使用済み核燃料冷却プールがいっぱいに近い状態に貯蔵されている使用済み核燃料は長期的に見てどうなるのだろうか。誰も答えられない質問だ。今後、原発を再稼働するという動きがあるようだが、この使用済み核燃料の行方をきちんと定めることが先決ではないだろうか。

 去年7月訪日したドイツ緑の党のBarbel Hohn(ベーベル・フーン)は「原発は一世代の電力を供給するが、5,000世代のゴミを残すのだ」と語った。カネと技術できちんと処理できないこの危険極まりない物質を離れた土地の人々や未来の世代に押し付けなければならない原発産業については、なぜ「安い」とか「安全」という言葉が使えるのだろうか。


 次回は「それでも、なぜ原発が必要だというのか」をテーマとしたいと思う。