【それでも、なぜ原発が必要だというのか】 外国人の目に福島原発災害がどのように映るかということを3回の記事で考えてきた。これまで、放射性物質が人間の身体に入ってしまった場合の内部被曝による健康被害、原発の経済問題や使用済み放射性廃棄物処理の問題について簡単に紹介したが、多くの読者には恐らく「こんな大変なことなら、一体なぜそもそも原発を造ろうとするのだろうか」という疑問が湧いてくるのではないかと思う。ここで、その疑問に答えるよう、原発への固執を考えてみたいと思う。大きく分けて、2つの理由がありそうだ。ひとつは「経済成長のため」で、もうひとつは「他国、特に米国との付き合いのため」である。 |
|
経済成長のため | |
私は、もう少しで来日40年になる。60年代の日本の高度成長期は直接経験できなかったが、第一オイル・ショックの真っただ中で東京に着いた私にとっては、その当時のイギリスと比較すればやや素朴な感じの日本だった。2年目、水戸に引っ越してきた後、何回か鈍行や急行列車で東京へ行ったり来たりした時期があった。その当時、横並びにではなく、4人が2人ずつ差し向かいに座る座席がほとんどだったが、乗り合わせた人たちと会話をしたり、煎餅やみかんをいただいたりした懐かしい思い出がある。その後、バブル経済が弾じける90年前後まで、日本経済が成長を続け、世界2番目の経済を誇るようになった。90年代、2000年代には、日本経済がほとんど成長せず、デフレ続きで、様々な経済・社会問題が出てきたが、日本人の平均的な生活レベルはそれでも世界のトップ・レベルであり続けてきたし、科学技術の進歩も目覚ましいものがある。1990年になかったもので、私たちが今、当たり前と思っているものが多くある。例えば、パソコン(90年代の初めには懐かしいDOSだけ)とインターネット、パソコンやテレビの液晶ディスプレイ、携帯電話・スマートフォン、DVDやブルーレイディスク、ハイブリッドカーなどがある。また、90年代にならないうちに、すでに新幹線や旅客機のような高速公共交通手段、世界のどこからでもどこまででも電話と中継放送を可能にする人工衛星、毎日私たちの食べものを供給する巨大なフード・システムの終着駅であるスーパーマーケット、私たちの健康を守る医療技術・機器類、そして国を守るための軍事科学技術もあった。つまり、私たちが現在生きているこの社会では、100年以上前の人間なら夢にも見ることができなかった「魔法」のようなことがたくさんできるようになった。その多くが電子技術に密接な関連があるので、様々な形で電気を利用する。そうだ、原発と関係しているということだ。一旦建設すれば、燃料費が比較的に安い原発は、大量の電気を発生する。【正確に言えば、原子炉が作り出すのは熱。水を熱し、発生した蒸気がタービンを回すことが発電の仕組み】原発はあまりにもたくさんの電気を起こすので、電気料金さえ払っておけば、電気が無限に使えるような錯覚をする。そうすれば、いくら家電製品を買っても困らないし、人口が増加してもかまわないということになる。もの(とサービス)を大量に作り出し、そこそこの給料をもらっている(幸せな)労働者の人口が増加しているなら、この経済システムを続けているかぎり機能不全を起こさずに経済成長ができる。それは原発だ。まるでその魔法と経済成長を創り出す夢の機械だ。だから原発が必要になるということになる。しかし、欧米人がよく言うように、原発は「ファウスト的契約」(Faustian bargain)だ。つまり、魔法と経済成長の夢を見させた反面、原発事故の不安と放射能の危険という悪夢を呼び込んだのだ。 考えてみれば、発電は、原発ではなくてもできる。化石燃料(石炭、石油、天然ガス)もあれば、再生可能なエネルギー源(水力、バイオマス、太陽光、風力など)もある。実は、日本の発電は現在(2013年3月)80%程度化石燃料に頼っている。大飯原発以外には日本の原発が止まったままになっているからだ。すると、どうなっているのか。化石燃料が高いので、これを口実に電力会社が軒並みに電気料金の値上げを申請しているし、世界一の貿易国だった日本は、以前からの赤字基調が一層強まって、30余年ぶりの貿易赤字国に転落している。日本人口も2005年から逆に減少しているし、労働人口が減っている少子高齢化社会になってしまった。しかし、@前回書いたように、原発は決して安くない。燃料費が比較的安いことで「安い」ように見せかけているだけだ。Aかなり前から石油等の化石燃料が高くなることが分かっていたが、対策はとられていない(気候変動対策はあったが、ほとんど効果がない)。これについては、筆者の「誰が日本を養うのか」(相川内科病院出版部 2002年)を参照願いたい。B原発は、ウラン鉱石採掘から、ウラン濃縮、燃料棒などの製造、建設、輸送、廃炉などまで全部が化石燃料、特に石油に依存している。化石燃料なくしては、原発は全て2、3年で止まってしまう。Cウラン鉱石は有限資源。石油とともに、2050年前後で実質的にもう使えなくなる資源である。夢のまたその向こうの夢の核燃サイクルや高速増殖炉もそれだけで、夢である。そのまた遥か彼方にある夢として核融合があるが、これは人間にとって手が届かない夢の高嶺の花である。残念に思う人は多いかも知れないが、原発の失敗は「成長神話」の終焉を告げる警鐘の遠音で、生活様式を変えなければならないということを意味すると思う。 |
|
他国といの付き合い | |
昨年、2030年までに「原発ゼロ」を支持する圧倒的な世論の前に、エネルギー環境調査会が「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」という主旨の「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめたが、それが9月14日に閣議決定されず、代わりにその「戦略」を「関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」と言い替えて決定された。つまり、時期はいつになるにせよ「原発ゼロ」という言い方それ自体がいけなかったようだ。日本政府に対する英仏米から抗議があったそうだ。英仏に関しては、日本から委託された使用済み放射性廃棄物の再処理した物質の帰還のことを懸念していたようだが、これは前回の記事の内容につながる。米国の反応はもっと複雑なものだったという。米国の反応をもっとも端的にわかりやすく語ってくれたのは、ワシントン市シンク・タンク「戦略国際問題研究所」(Centerfor Strategic and Inter-national Studies) の社長兼CEOのジョン・ハマ(John Hamre、ハムレやヘイムリという表記もあるが”hammer”と同じ発音だということをインターネット・ラジオで確認した)だった。ハマ氏のことばを2つ引用しよう。 「もし日本が、そしてアメリカ、そしてヨーロッパが原子力を止めたら、だれが安全保障と安全性にかかわる世界システムを運営するのか」(*1) これは、核不拡散を強く支持する日米欧州のうち日本が原子力を止めたら、核不拡散の三本脚の一つが抜けてしまい、全体の構造が不安定になるということをアピールしている。しかしこれは、原発と核兵器の関係を当たり前のこととし、そういうことならなぜこれまで30年間以上、一方で核不拡散をいいながら、他方で3者が原発輸出という核のビジネスを一所懸命に後押ししたのだろうかがわからなくなってしまう。核兵器のない世界(オバマ大統領のセリフ)を望むなら、まず自分から核兵器をなくす用意があることを表明するのが先決ではないだろうか。逆に、日本は、原発を持ちながら、その真意は別として、核兵器を造ろうとしない模範国だから、国際社会の中で発言はそれなりの重みがある。それが損なわれるから日本は原発をやめてはいけないということらしい。世界の「安全」となると、どこにも日本国民の意思が入る余地がなさそうだ。 「新エネルギーについてロマンチックな考えをしてはいけない。現代的で洗練された経済を運営するなら、原子力を正当なエネルギー源にするという問題に対処せざるを得ないだろう」(*2) 新(再生可能な)エネルギーでは、現在のような「魔法」の経済を運営することはできない。アメリカのエリートから見れば、この「魔法」の経済にはTPPを含むグローバリゼーションが必要だ。前述したように、化石資源もウラン資源もあと40年あるかないかというところに来ているのに、それは原発の力を借りて世界経済をいつまでもいつまでも成長し続けさせる「成長神話」の盲目的信仰である。しかし、エネルギーの状況をよく見れば、今の小学生がまだまだ生きているうちに世の中の生活様式がゆっくりだが決定的に変わることになると結論せざるを得ない。 私なりに解釈すれば、日本人が望んでいた「原発ゼロ」はどこがいけなかったかと言えば、アメリカの世界経済・安全保障ヴィジョンの一角を支える日本が原発をやめることでそのヴィジョンが損なわれてしまうということだ。それがいけなかったようだ。ただし、その人たちのヴィジョンと日本国民の民意を同じ秤で判断できるものかとヨーロッパの人は考える。また、別の見方をすれば、今の日本を海外から見れば、2011年3月11日の震災と原発災害を受けた日本人がどのように原発というものを延命できるかではなく、どうすれば将来の低エネルギー社会を徐々に実現させることで世界をリードしてくれるのかなと多くの人たちが考えている。それがフクシマの本当の意味ではないだろうか。 |
|
|
|